お茶の博物館
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日本茶博物館

明治時代−日本煎茶製茶法の完成と輸出

 明治時代には沢山の茶業書が刊行され日本茶の製茶技術は大変進歩し、(もちろん蒸し機などは機械ではありませんが)ほぼ現在飲まれている煎茶の製茶法が完成しました。 日本茶はその完成された製茶法とともに大々的に海外に輸出されました。当時生糸とあわせて日本茶は二大輸出産業でした。 この節では明治時代の茶業書とともに当時の製茶技術の進展と輸出を振り返ってみます。
 「開透流製茶製造法」松下勘十(静岡県小笠郡小笠町 明治22年刊 国立国会図書館蔵)松下勘十は手揉教師赤堀玉三郎に師事。その没後意志をつぎ、さらに改良を加えて開透流と称した。 火の起こし方、茶葉の蒸し方、葉打ち、初揉みと揉み込み、中揉み、仕上げ揉みの6項目からなります。これらは中等茶の製法で、形状の良否はさておき、真正のお茶ができるとし、炉上における揉みきりにより、冷熱変更の間に製茶の実質を得るのを開透流としている。

 「改良製茶法」斎藤市蔵(静岡県阿部郡、明治39年刊、国立国会図書館蔵)茶は日本の特産ではなく印度、セイロン、中国などに産する。 これらを圧伏するには優れた日本茶を産出、競争に勝つ以外ないとして、斎藤市蔵は多年の経験から会得したとする製茶法について改良製茶園法、生葉取扱法、焙炉構築の方法、製茶改良でんぐり製、干度、製茶改良製、肥料取扱方法の7項目について記述しています。

「栽茶説」杉田晋
「本編はすべて海外輸出貿易の為の製茶を主論とし」とある。 ここでは茶業経営業についても書いてあり、製造論では茶園100アールの経営について詳細に検討、輸出茶の再製、諸費について細かい試算を行っています。

「製茶手引」永谷重賢(煎茶の祖と言われる永谷宋園の孫)

 茶園開拓論、肥料、茶製論について述べています。

「茶製家必携」田中清佐衛門
(京都府相楽郡 明治18年刊 国立国会図書館蔵) 序文に、我が国の重要輸出品である茶の価格が現時好転したのは、品質改善が行われたもので、今後改良を進め日本の美を海外におよばさねばならない。茶摘採法、蒸芽法、乾燥法、維持法、外国に合わせる方法、茶銘、再製の説、自園茶を製造する比較、老葉、若葉の製造上の損益など10条からなっている。 明治時代の茶業者がいかに意気込んでいたかがうかがえる本です。

「緑茶製造法」江澤長作 (静岡県島田市 明治23年刊 国立国会図書館蔵)
これには天下一、稀頭、極頭、大頭、頭、並頭、並物の揉み方法、水煎製、玉露製揉み方法など9種類の製法とその貯蔵、再製および輸出箱の仕立など説明しています。

「製茶図解」彦根藩 (明治4年)
廃藩置県の前に彦根藩が一般農民を対象に図入りで分かり易く茶業奨励の為に発布したものです。

「製茶新説」増田充績
彦根藩が明治4年に出した「製茶図解」より2年遅れて刊行されたものです。「製茶図解」と同じように毛筆で書いたものを木版にしたもので図いりで分かりやすく書かれており、上巻では茶実善悪のこと、茶実蒔き方、茶花、茶木の雄雌の見分け方、茶木の培養、茶葉摘み方、肥料、下巻では製茶法のこと、覆下茶、製茶囲い方、害虫予防のことなどについて書かれています。
 このように明治時代には沢山の茶業書が書かれほぼ現代に近い煎茶の製茶法が完成され、それと同時に海外へ〈主にアメリカ〉へ輸出されました。1878年には流通市場に上がったほとんどの緑茶が輸出にまわされ、その量は中国緑茶の倍以上でした。1884年には高林謙三が生茶葉蒸器、焙茶器、製茶摩擦器を発明し、15年後には粗揉機をつくって半機械製茶時代を招来させました。1890年にはパリの万国博覧会に日本茶宣伝のため喫茶店を開設しました。

 また明治以降、急須が茶の間に普及しました。明治時代の煎茶法の完成と大々的な生産と輸出のあと、現在の日本緑茶(煎茶)は庶民に行き渡るようになりました。


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