煎茶ができはじめると、煎茶道も開祖というべき人が生み出されてきました。
高遊外(売茶翁)という僧侶です。長崎に留学中、煎茶を知りのち煎茶三昧の生活をします。
初めは、水や石の清らかなところで茶を煎じて訪れる人に飲ませていた。身分で人を差別せず、代金を払おうと払うまいと頓着せず、色々な世の中の出来事をのどかに語って聞かせるので誰しもこの翁に慣れ親しむようになった。57歳で京都に上り東山の通仙亭という茶店を構えて売茶をなりわいとしました。大仏の池辺や、東福寺の紅葉山、嵯峨付近に至るまで洛中洛外に茶を売り歩いたのでたちまち有名になりました。
売茶翁はその求道の中で煎茶に注目しました。 何よりも煎茶そのものに新しい魅力があったのでしょう。売茶翁と同時期に画期的なお茶が生まれます。
京都の篤農家永谷宗円が1738年、蒸し製煎茶と言われるそれまでとは違って格段の差がある高品質をもった新しいお茶を開発しました。 それまでは煎茶は新しい葉や古い葉、固くなった芽などを煮てから釜を使って作ったといいますが、硬葉や老葉の混じらない良い生葉を用いて蒸しほいろで揉み乾かし、色青く、香味ともに良い製品を作りました。宗円は要するに煎じ茶のよしあしは、蒸し方と揉み方と乾燥により決まると言っています。
それまでのお茶は茶色だったのですが、宗円のお茶はみずみずしい緑色だったことから青製と呼ばれ、それに対してそれまでのお茶は黒製と呼ばれました。宗円はこの煎茶を江戸の茶商に売ってもらい大評判を取りました。 |